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2024.12.19

第129回まちなかDialog
福江充氏による「立山の歴史と文化~立山信仰と立山曼荼羅を語る~」

第129回まちなかDialog
福江充氏による「立山の歴史と文化~立山信仰と立山曼荼羅を語る~」
立山信仰とは何かに迫る~第1弾~
12/19に開催された市民のサードプレイス第129回まちなかDialogは北陸大学国際コミュニケーション学部教授 福江充 氏による「立山の歴史と文化~立山信仰と立山曼荼羅を語る~」でした😊
※限定公開オンデマンド配信あり
※ご希望される方は佐伯までお知らせください
福江氏は1963年富山県小矢部市に生まれ。
専門は日本近世界史学・日本宗教民俗学。
ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授と共に日本学術振興会賞を受賞。立山信仰は世界的にも意味のある研究と言えます。
✔️立山信仰について
・日本は島国かつ山国で、米経済で成り立っていた江戸時代の輸送手段は船。ゆえに高い山は航路の目印だったこともあり、特に能登の人から見える立山はとても神々しい。
・「立山信仰」「立山曼荼羅」という言葉はなく研究用語である。
・立山信仰は日本の神々である「自然宗教」と「仏教」が融合した習合信仰、いわゆる「民俗宗教」である。
・立山本来の神様は「立山大権現」。阿弥陀如来(仏)が日本の神「伊弉冉尊」や「天手力男尊」に変身。立山の場合は阿弥陀如来がそのままの形で神(立山大権現)として表現、造形されてきた。
✔️芦峅寺と岩峅寺
・立山のマネジメントは加賀藩が担当。立山は信仰のメッカになっていた。
・入山にかかる税金や山の管理による収益は岩峅寺がもらっていた。
・山を降り、都や地方へ出稼ぎに行き、信仰グッズを売り稼いでいたのは芦峅寺。
✔️立山曼荼羅について
・立山曼荼羅は「山系曼荼羅」の種類になり60本近く見つかっている。日本で2番目に多い曼荼羅である。
・立山曼荼羅はバーチャル霊場。
・神々の山から仏教の山にモデルチェンジしたのは佐伯有頼。
・山の中に地獄があり、平安時代、越中のブランドになっていた。「悪いことをしたら立山の地獄に行く」
・立山山中は死者の世界。閻魔様による「裁判所」があり判決を言い渡される。ただし判決後そこで行いが良くなったら浄土へ行ける「人間再生空間」である。
・地獄とは「六道輪廻の世界」のひとつ。「天」「人」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」をどんどん生まれ変わるといわれているが、仏教はそこから抜け出て往生、仏になることを最大の目的としている。
今回はここで終了✏️
難しいテーマではありましたが、福江氏の分かりやすく、ユーモア溢れるスピーチのお陰で、集まった16名の参加者は大満足‼️
みなさん第2弾、第3弾を要望され、福江氏も快諾されました😊
私も立山町芦峅寺に本籍をおいてますが、ご先祖様のことをとても深く知ることができました👍
懇親会では、福江氏のアコースティック音楽ユニット「coffeeとguitarと有給休暇」による生演奏も行われました🎸🎤
大学教授なのに…音楽の力も凄い!と感じた次第です😄